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心理学

生きるリズム

 あけましておめでとうございます。

 2021年、令和3年が始まりました。例年と違う、静かな静かなお正月です。皆さんの地域はどうなのでしょう、私の周辺はいつも以上にひっそりとしているように感じます。

 静かなお正月の受け止め方は、人によってさまざまなはずです。「正月なんて、何がめでたいの?」と、冷ややかにいつもどおりに過ごしている人もいるでしょう。「やっぱり、年に一度の正月くらい騒ごうよ」と街に繰り出すひともいるかもしれません。どのような気持ちで過ごすにせよ、正月を意識しない人はいません。

 「ハレ」と「ケ」という言葉があります。「ハレ」とは、「晴れの舞台」「晴れ着」などの言葉に現れているように、「節目」を意味しています。これに対して、「ケ」とは普通や日常のことを指しています。このことをはじめて指摘した民俗学者の柳田國男は、近代化によって「ハレ」と「ケ」の区別の曖昧化が進んでいると唱えたとのことですが(ウィキペディア「ハレとケ」)、近年のハロウィンの盛り上がりなどを見ると、若者を中心に、伝統とはまた違ったかたちで「ハレ」を求めていることがわかります。おそらく、「ハレ」と「ケ」が交代して現れることで、私たちの生活に一つのリズムがもたらされ、彩りが与えられるのでしょう。

 少し違うことなのですが、何度も体を壊したり怪我をしてしまったりする人がいます。もちろん病気や怪我は本人に責任のない災厄であり、起こらないに越したことはありません。でも、そのようなことを繰り返す人の中には、その人の普段の生活が単調で余裕がなく見えることがあります。「ケ」を続けるなかで、ある種の「ハレ」として病気や怪我が現れているかのようなのです。病気や怪我という非日常によって新たなリズムが作られ、回復後に一層大きな活力を手にすることもあるのです。

 新型コロナは長期戦です。流行り始めた昨年春は、この病気がなんなのか、どのように防ぐべきなのかにやっきになって、世間にはある種の高揚感がありましたが、これだけ長引くと疲労も増してきます。最初は「ハレ」の役割を持っていた非日常が、徐々に日常になり「ケ」の働きを持つようになったとき、私たちには新たな「ハレ」が求められるはずです。無謀などんちゃん騒ぎではなく、静かでおごそかな「ハレ」として、記念日や祝い事をあらためて大切に考えたいと思います。

 皆さん一人ひとりにとって、よいお正月をお過ごしください。