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ことばが運ぶ思い

 平野啓一郎さんが出演すると聞いて、BSテレ東の『あの本、読みました?』を観てみました。

 今回のテーマは「文庫解説」。そういえば、これまでは、文庫には解説が当然のようにくっついているので、あまり考えることもなく、作品の余韻に浸りながら何気なく目を通していただけでした。難しそうな翻訳本や思想書なんかだと、はじめに解説を読んでから買うかどうかを決めたりしてきましたが、小説の解説を意識して読んだのは明治の文豪の作品くらいな気がします。

 ただ、文庫解説とは、ほかの書物の解説とは一線を画す、独自の世界に成り立っているようなのです。ある単行本が文庫本に生まれ変わって再び世に問われるとき、この文庫本をどのように蘇らせるかを作家と編集者とで深く語り合い、文庫本に命を吹き込んでくれそうな解説者候補を丹念に選び、そして作家と編集者とが、それこそ手書きの手紙などで熱く熱く解説を依頼するのだとか。

 作家が別の作家の作品の文庫解説を依頼される場合にも、評論家や文学者ではなく作家に依頼されたという意味を読み取り、たんなる作品の分析ではなく、ある作家が世に訴えている作品に対して、同じく作家を生業としている者が何を感じどのように動かされたかを言葉にする努力をされているようです。ある意味で、ひとつの作品を受けて、小さな連作を加えているようなものです。

 番組を通して、文庫解説をめぐり、作品の作者と解説者のあいだで交わされている熱い思いが、軽妙で饒舌な朝井リョウさんの語り口から十二分に伝わってきました。他方、「晩年のマイルス・デイビスは、自分のアルバムにライナーノーツをつけることを拒否した」という前例に倣って、近年は文庫解説を誰にも依頼していないという平野さんの態度にも、作家としての気概が見え隠れします。解説ひとつにも、ドラマがあります。

 私たちは、お互いに言葉を交わしてコミュニケーションをとります。もちろん、人と人との会話は言葉で成り立ってはいるのですが、けっして単なる情報交換ではありません。何気ない挨拶が、そのいい例です。「おはよう」という言葉は、そもそも「お早くから、ご苦労様です」という意味で、歌舞伎役者が準備のために公演の随分前から会場に到着しているときにお互いにかけあった言葉だそうです。しかし、今ではそのような意味はすっかり忘れ去られ、朝出会ったときに交わす、お決まりの挨拶の言葉になっています。とはいえ、元来の意味は忘れられても、お互いを尊重し思いやる気持ちがそこには含まれているのです。

 誰かの言葉に対して、別の人が言葉をつなぐとき、そこには言い表された言葉の内容以上の、お互いに相手を思いやる気持ちもまたやりとりをしているはずです。言葉を発するかぎりは言葉を丁寧に使いたいとは思いますが、言葉を巧みに操ることが大事なわけではありません。その言葉をどのように相手に伝えるかを含め、相手に対する気持ちがしっかり伝わるといいのだと思います。

 近年、SNSでのやりとりが日常になり、私たちは自分の思いをスタンプや写真で表現し、言葉はごく短い定型的なもので済ませることがふつうになりつつあります。言葉をもっと使えばもっとたくさんのことが伝えられるのに、という気持ちもないではありませんが、若い人たちは、このような少ない文字情報でも豊かな視覚情報と組み合わせて伝えることで、言葉以外のたくさんの意味を表そうとしているのでしょうし、現代ではそのようなコミュニケーションがうまく機能しているのでしょう。

 時代とともに、また文化によって、コミュニケーションの仕方はさまざまです。しかし、どのようなコミュニケーションであっても、相手を尊重し相手を思いやる気持ちに変わりはありません。逆に、相手へのリスペクトのない表現は、意味のあるものを生み出すことはないでしょう。

 そういえば、最近は雑事にかまけて、小説を読むことを忘れていました。この春、なにか一冊、じっくり読みたい気持ちになりました。もちろん、解説も。