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摂食障害

過剰な自己

  摂食症(摂食障害のこと、当面この表記を使ってみます)の人は、自分の体型を気にすることからもわかるとおり、他者からどう見られているかに敏感です。自分にばかり心のエネルギーを注ぐことは、精神分析学の用語を用いて「自己愛」と説明され、摂食症の一つの特徴として指摘されてきました(松木 1997)。


 しかし、摂食症の人は「自己愛性パーソナリティ障害」の人のように偉そうだったり、“ほめて、ほめて”と自分をわかりやすくアピールすることは稀で、逆に、周囲の人に過剰に配慮したり自信が持てなかったりします。近年、自己愛には、自分を主張する「誇大(grandiose)」タイプ以外に、傷つきを恐れて防衛的になる「過敏(valunerable/hypersensitive)」タイプ(Wink 1991)があることが指摘されるようになりました。ひきこもりの人の一部がこのタイプだと言われていますし、摂食症の人に多いというデータもあります(Gordon 2010)。


 ただ、摂食症の人は単に周囲の人からの評価にびくびくしているだけではなく、自分を強く主張しようともしますので、そこが過敏型自己愛に収まらないところです。それは、強く発言するという行為にも見られますが、自分のルールに頑なにこだわったり、人に隠れて何かをしようとしたりするのも、自分をしっかりと保とうという意志の現れなのかもしれません。そう考えれば、摂食症の人の行動の多くは、自分へのこだわりから説明できそうです。周囲からの評価に敏感でつねに“自分自身”を作り出して見せようとしながらも、それと同時に、そのような周囲の価値観から逃れた自由な“自分自身”を守り抜こうとする、というように、つねに“自己”を巡って悩み続ける摂食症の人のあり方を、仮に「過剰自己(too-much-self)」と呼ぶことにしましょう。


 自分というものは、意識すればするほど、自然な自分がなくなってしまうというジレンマがあります。「見せる」ことによって、「偽物の自分を作る」要素が入ってくるからなのでしょう。「見せようとがんばらなくても大丈夫」ということが、摂食症の人にとって大事な言葉になります。


 近年、SNSを通じて“映え”がもてはやされ、若い人たちにとっては、見せることが目的となって活動することがふつうになってきています。活動の動機と結果が逆転している現状において、「自分が何をしているのか」を問い直すことは容易ではなさそうです。”自分”がますますわかりにくい時代になっているのかもしれません。