現代の日本は契約社会ですから、何かを行うときは関係者全員の意思を確認しながら進めることになっています。ただ、精神科医療の現場では、やむなく患者の意思に反した治療を行うことがあります。患者が病気のために自分の意思を持てなかったり、状況の理解や判断がうまくできず適切でない意思を持ってしまったりする場合には、強制的な治療に踏み切らざるを得ません。ただし、それが医療者の独断で行われないよう、精神保健福祉法という法律に則って厳密な手続きを踏んではじめて可能になります。
摂食症(摂食障害)の場合、生活上最優先されるような極端な「やせたい」という気持ちは、明らかに病気の症状であり“不健康な意思”とでも言うべきものですが、他の精神病の幻覚や妄想に比べて、どこからが病的な意思なのか、という境界線はあいまいです。少なくとも、「このままでは命が危ない」という判断がその最小限の基準にはなりそうです。
『摂食障害から回復するための8つの秘訣』(コスティン著、2015年)という本には、摂食症からの回復の十段階が紹介されています。病気が重いと、自分の食事が偏っていることについて「問題がない」「大したことじゃない」と認めようとせず、少し病気のことが理解できると「変わることが怖い」と不安が生じ、回復してくると「摂食症特有の考えから解放されることがある」という体験が出てくるというのです。病気が重いほど、病気を否認して治療を拒否してしまうことが、この病気の治療の難しいところです。
しかし、病気を否認する心こそがこの病気の中心にあるものです。自分というものがわからなくなり、自分を主張する手段としてやせてしまいますし、その自分が変化させられることが怖くて治療を拒否するわけです。つまり、摂食症の人が主張する“意思”は不安から出てきたものであって、じつは心の奥底では、わずかでも「このままでは嫌だ」「病気から解放されたい」という気持ちを持っているはずなのです。治療とは、“回復したい”という隠された意思を応援する作業ということになります。
”表面上の意思”以外に”隠された意思”があると考えたら、そもそも意思というものがなんなのかわからなくなります。でも、私たちが生きていくうえで、とりあえず今の状況に合わせて持つことになった意思以外に、自分らしく生きていこうとする意思が隠れているとイメージすれば、自分の可能性がちょっと楽しみになったりもします。