大型台風19号が日本列島を縦断し、各地に記録的な大雨と暴風による甚大な災厄をもたらしてから一夜が明けました。ただ、“台風一過”とはいかず、この文を書いている今も広範な河川氾濫による浸水被害は進行しており、テレビには自宅二階で救助を求める人々の姿が痛々しく映し出されています。全員が一刻も早く安全を確保できることを切に願うとともに、亡くなられた方々にはご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
未曽有の災害は人々から言葉を奪います。東日本大震災のときも、「これまで自分が思索してきたことの意味がわからなくなった」としばらく筆を置いた文筆家は、少なくなかったはずです。一方で、「今こそ語らなくては」という本能的情念に突き動かされ、整理のつかぬまま、整理のつかない現実について言葉を発し続けた人もいました。『詩の礫(つぶて)』(2011年)は、福島の詩人、和合亮一氏がTwitterに投げつけた、被災の魂の現実です。
人を支援することを生業とする者は、つねに人の困難に立ち会います。いっしょに困難に浸ってしまうと、言葉を失います。あるいは、情念に引きずられた呟きになります。支援者は、困難から距離をとって目の前に据え、冷静に分析し、的確に解決へと導かねばなりません。その経験を蓄積することで、あるタイプの困難の背景にはこのような事情が隠されていて、その場合にはこのように対処すると多くの場合よい方向に向かう、という普遍的法則が提示できることもあるでしょう。それが科学というものです。
しかし、と、台風の明けた今、あらためて思います。困難に見舞われた痛みに対する想像力なくして、はたして本当に困難の解決を導き出すことができるのでしょうか。ヘリコプターから被災者を報じるジャーナリストは、はるか上空から被災した景色を眺めることで正確な情報を私たちに届けてくれるのですが、そのジャーナリストが思わず発した「必ず助かります、諦めずに救助を待っていてください」という力のこもった言葉に報道の真実を見ました。もちろん、この声はテレビのない眼下の被災者自身には届きませんが、これを報道する意味は多くの視聴者に響いたことでしょう。
支援の際に冷徹な目は不可欠ですが、支援をしようとした瞬間に抱いた痛みへの感性と情念もまた、忘れてはならないものなのだろうと思います。
重ねて皆さまのご無事を信じています。