摂食症(摂食障害)のような慢性で難しい病気に悩む人から、「回復した人の話が聴きたい」という声をよく聞きます。いくら支援者が専門的知識や過去の数字を挙げて説明しても、本当に治るのかと不安でしょうし、「当事者でない人はつらさをわかっていないから他人事なんじゃないか」といぶかりもするでしょう。
その点、回復した人のなまの声の力は絶大です。近年、当事者どうしが支え合う「ピア・カウンセリング」や、当事者が自分の体験をもとに病気を考える「当事者研究」といった、病む人自身の声を治療に生かそうとする動きが盛んになっています。とくに回復した人は、現在病で苦しんでいる人にとっては目指すべきモデルになるはずです。
しかし、回復した人が自分の体験を語るのは簡単なことではありません。つらかった日々を思い出し、きわめて個人的な内容を他人に開示するわけですから、相当な覚悟が必要です。また、もう病気のことを忘れて平穏な日常を送っているにもかかわらず、病気を振り返ることで病気の魔力に再び引き寄せられる危険を伴います。摂食症の回復者はたくさんいるはずですが、人前で話していただける方がごく少数なのはそのためです。
病に苦しむ当事者は、回復者に“特効薬”を求めがちです。回復者が「運命の人に出会った」と言えば、「運命の人にはどうやったら出会えますか?」といった“難しい”質問が出されます。しかし、回復の過程は人生の過程でもあります。単純に説明できる人生はありません。回復者が「こうしたから治った」と考えていることも回復者自身の“解釈”に過ぎず、別の見方ができるかもしれません。
じつは誰もが、回復というストーリーの中の目立ったエピソードに注目しがちです。しかし、たとえば「運命の人との出会い」というエピソードは、それまでの一見なんでもない日常の積み重ねがあり、その人と“出会う”心の準備ができたタイミングではじめて、その“出会い”が“運命”になるはずです。一つひとつのエピソードだけではなく、むしろそれ以上に、日々どのように病と向き合いどのような小さな工夫を重ねているかということが大事なのではないでしょうか。「なぜ治ったか」よりも「どのようにして治ったか」を大切にしたいと思います。
回復者の語りが人の心を打つのは、語られた言葉にそのような回復者自身の生きる姿が透けて見えるからなのでしょう。