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解離/トラウマ

複雑なトラウマ

 最近、毎日のように痛ましい虐待のニュースを目にします。行政の対応はどうだったか、教育現場は何をすべきか、などの議論が日々活発に行われており、同じことが二度と起きないよう社会が取り組んでいくことが求められています。ただ、このように事件になったものの数十倍、数百倍、あるいはそれ以上の、事件にならない虐待やDVがどこかで行われているという現実にも、私たちは向き合っていかなければいけません。


 1回あるいは数回の外傷体験によって生じる心の病が心的外傷後ストレス障害(PTSD)ですが、じつは長期間にわたって繰り返し外傷的出来事に晒され続けた人は生きることに絶望し、特有の症状や対人関係の問題に悩まされ続けることが指摘され、1992年にハーマンによって「複雑性PTSD(CPTSD)」と名づけられました(それに対して、通常のPTSDは「単純性PTSD」と呼ばれます)。世界的な診断基準が改訂されるたびにこの病態が正式に認められることが望まれながら時間が経過し、このたび2018年に誕生したICD-11においてやっと、この病名が日の目を見ることになったのです。これで、対人関係に深く悩む人のなかには過去に長くつらい体験を抱えている人がいることが、病名としてはっきり示されることになりました。


 ただし、ICD-11のCPTSDは、PTSDの診断基準(外傷体験および再体験・回避・過覚醒)を満たしたうえで、特有の自己形成の問題(感情制御困難・否定的自己概念・対人関係障害)をもっていることによって診断が下されます。つまり、PTSDのなかの小さなカテゴリーになってしまっています。このことは、「単純性PTSDよりも広い」(Harman 1992)概念を作ることを目指したハーマンの意図に反するのではないでしょうか。CPTSDとは、一見PTSDとは思えないけれど、じつは外傷体験が深い傷を残している人を見つけるための診断であったはずです。


 ICD-11の診断基準は、CPTSDに特有の自己形成の問題をもっている人の9割以上がPTSDの診断に合致するというデータに基づいているので(飛鳥井 2019)、妥当と言わざるを得ません。CPTSDの人はPTSD症状が日常になってしまっていて、自分からはそれを語ることが少ないけれども、出会う人が関心をもちさえすれば確認できるということなのでしょう。


 自己否定的で対人関係に悩みを抱える人に出会ったとき、過去の生活状況の影響がないかという視点をあらためてもつきっかけを与えてくれるというだけでも、今回のICD-11のCPTSD概念採択はきわめて歴史的なことなのです。